「大東亜論」の中でも特に強く心に残るシーンの一つが、「巨傑誕生篇」において、頭山満と社員や提携先との板挟みになった箱田六輔が、「俺も頭数の男ではない!」と、筋を通して割腹し果てる場面です。
当該シーンの数ページ前に書かれた一文は、各総裁選の只中にある日本で読むと、いっそうの重厚感で心に響きます。
近代民主主義においては、数が力である。
箱田は近代的思考に立ち、「大連帯」で数を集めようとしたのだろう。
しかし頭山の考えは全く違っていた。
頭山は「一人を以て千万人に当たる」人物を見出すことこそが必要と考えていた。
世評の非難を一身に浴びても信念を貫く一人の力は
千万人の平凡人に勝ると、
頭山は考えるのだ。
これと対比すると、一国を担う首相が決まる自民党総裁選などは、まさにこの対極の様相であり、思わずため息が出てしまいます。
総裁選においては、立候補の前にまず「推薦人」の頭数が必要になりますが、これについて一つ思う事があります。
以前、比例当選オンリーの「ダンケーセールスマン」という記事で、何期も国会議員を務めていながら、選挙区では全敗で比例でしか当選した事がない代議士たちが、(支持団体からの意向が特に強い)皇位継承の男系男子固執などを特に熱心に推進している件について書きました。
今回の総裁選を見ると、この比例当選オンリー議員たちも、軒並みどこかの「推薦人」に名を連ねています。
これ、モヤモヤしませんか?
そもそも比例当選オンリー議員は、国民の直接の意思では選ばれなかったけど、党内における立ち回りの結果「比例復活」の頭数に入れてもらった人員です。
そして今度は、党内だけで行われる総裁選において「推薦人」という頭数になり、もちろん投票においても頭数となります。
一度も国民に選ばれない輩が、党内の立ち回りだけで頭数になり続ける。これって、近代民主主義の是非以前に、民主主義ですら無いのでは?
今日のオドレら正気か?LIVE「民主主義に希望があるのか?」では総裁選の話にもなると思うので、最近ひっかかっていた事を書いておきました。14:00から、会場で、配信で、よろしくお願いします!